問い糾されるべきは「開かれた司法」だ

 昨日は1964年に新潟県下越地方から山形県庄内地方で大地震が起きてからちょうど53年に当たる当日でした。1964年といえば10月10日に帝國主義侵略五輪が東京で初めて行われた年でもあり、帝國主義侵略五輪直前の事態に日本社会が騒ぎになったりもしました。とりわけ2020年帝國主義侵略五輪・パラ五輪が東京で行われる直前の時期ということもあり、現在も大規模地震が毎年のように起きていることからしても、帝國主義侵略五輪ムードよりも毎年のように起きる大規模地震に対する対策を考える方が先というものでしょう。そして、6月中旬といえば、一昨日は明治の三陸大津波から121年、3日前は岩手・宮城内陸地震から9年、5日前は1978年宮城県沖地震から39年の当日でした。このような日本列島の特性をまず真っ先に考えることを促すべく、本サイトでは日本人の立場として東京五輪ボイコットキャンペーン(Boykot 0202。本来ボイコットの綴りは「Boycott」ですが、Tokyoを逆につづる表記と組み合わせてBoykotとして、2020を逆さにした0202を加えます)を展開したいと思います。詳しくは後日発表いたします。

 さて、今週火曜日、宮城県中心の東北地方紙河北新報がこんな社説を掲載して陳腐化した人民拉致裁判制度(裁判員制度)プロパガンダを働いたのですが、そんな舌の根も乾かない昨日に日本帝國主義体制仙台地裁で異常事態が発生しました(参考=)。これは人民拉致裁判ではない比較的軽い事件の刑事裁判ではあったのですが、保釈中の被告人が法廷に刃物を持ち込んで判決言渡しの最中に、司法制度批判発言をした上で傍聴人を襲撃したとのことです。そして、現実に襲撃されたのは日本帝國宮城県警の2人だったのですが襲撃した男性とは面識がなく、また、この男性が警察官と知らずに襲撃したともいわれていて、職業法曹人や捜査当局を標的にした事案でないことも考える必要があります。そして、現在の逮捕容疑が殺人未遂罪でこの罪状のまま起訴されたら人民拉致裁判になるのですが、裁判の現場では人民拉致裁判をなるべく避けたい事情もあり、この種の思想を持つ人物であれば起訴時に「殺意が認められない」との理由で傷害罪に落とされるケースも多くなっています。
 そして、何といっても大きな問題は、つい先日の今年2月に日本帝國大阪地裁本庁それも人民拉致裁判で同種の刃物持込事案が起きているのを認識しているはずの日本帝國仙台地裁がその後何の対策も取っていなかったことです。この日本帝國大阪地裁本庁の刃物持込の件は襲撃にまでは至らず銃刀法違反での立件だったのですが、つい先日に論告求刑があって6月下旬に判決を迎えるという現在進行中の事案です。こんな事案、まして人民拉致裁判の実地で現実に起きてしまったケースの裁判が現在進行中でありながら何ら対策が取られて来なかったのは、裁判の公開の原則という観点から日本帝國司法当局があえて警備強化をしてこなかった経緯があるためで、実際の運用面において厳重警備が行われるのは筋関係者裁判など例外的な事案に限られるのです。上記サイトの参考2でも示されるのですが、人民拉致裁判強行導入に伴ってむしろ「開かれた司法」を喧伝すべく警備強化とは逆の指向性に進んでいるとさえいえます。日本帝國最高裁は今回の事案を受けて日本帝國各地裁に対応を求めるべく文書を送ったとのことですが、強制的に金属探知機を設置せよとは述べておらず、この種の事案への抜本的対策にはまるでなっていません。
 「開かれた司法」を旗印に人民拉致裁判制度を強行導入した一方で、裁かれる拉致被害者に対して日本帝國主義犯罪的侵略支配層への屈服を迫る政策ですから、拉致被害者側からすればますます日本帝國主義社会への怨念を深める心情を持つのは容易に想定できます。ここで掲げた日本帝國大阪地裁本庁や日本帝國仙台地裁の種の事案は近年ますます起こりやすい環境になっているというべき状況です。そして、今回の日本帝國仙台地裁の事案では法曹関係者や捜査当局を標的にせず一般市民を標的にしたということは、この裁判が人民拉致裁判でなくとも人民拉致裁判の理念に対する襲撃になることは間違いありません。また、公判前証拠整理手続を絶対的条件としている人民拉致裁判導入を強行を契機に、人質司法批判の観点から保釈を広く認める運用がされていて、法廷での金属探知機使用敬遠傾向も加えればますますこの種の事案が起こりやすくなります。「開かれた司法」を旗印にして警備を緩める一方で凶悪犯罪者による法廷への凶器持込みリスクを高める司法制度改悪とセットにしては、「開かれた司法」と法廷警備の両立など絶対にありえませんし、二律背反の理念を無理やり両立させることを旗印に政策強行に踏み切った推進者の責任が問われるべき事態です。
 その観点からもそもそも「開かれた司法」が一体何を指すのかも問われるというものです。人民拉致裁判制度導入の理念としてもよく使われる言葉ですが、法律の中身はまさしく人民に対する凶悪犯罪裁判への強制徴用です。一般市民レベルで法廷という存在はなるべくならば関わりたくない場所ですし、それが凶悪事件となればなおさらです。凶悪犯罪を裁く法廷はまさしく戦場といっても過言ではないのですが、その場を「開かれた」存在として一般市民を無理やり巻き込むのは、まさしく戦場を「開かれた」存在というのと同等です。そして、今回取り上げたこの種の事案が多くなればなるほど、政策推進側の本音としての「開かれた司法」の本性としてますます露骨に表れるというものです。

広告
カテゴリー: 裁判員制度徹底糾弾 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中